記録を破る努力=自分を破る努力

 

「レジェンド」葛西選手が、41歳で銀メダルを獲得しました
「最年長者、だけど侮れない」そんな記事を見て

ボクは印象を受けた


何度も”時間”をかけて挑戦しながら
実らない実績に対して自分に挑戦し、自分でその記録を破っていったというのがまさに
葛西紀明選手のレジェンドだと言えそうです
そして、彼の目標は「金」であり、まだまだやる気を持っているようです


一方、自分との戦いという点で
フィギュアスケートの羽生選手も、自己の演技に磨きをかけるということだった気がする
彼にとって、パトリック・チャン選手は確かに目標とする大選手です
ですが、年齢は羽生選手よりちょうど4年違います
選手生命という点で考えれば、羽生選手はいずれチャン選手を追い越せた可能性はあったわけで
それならば、前人未到の世界に行く!というのが目標設定としては正しかったかもしれません
 それがショートプログラムの100点超えであったと思うのです


これは、野球の世界を見ても感じます
王貞治選手が持つ、ホームランのシーズン記録は1964年に達成したものでした
それが長い年月が経って、ようやくバレンタイン選手が破りました
ただ、王選手の記録が長年不滅だった理由は、やはり共通しているようです
それが王選手は、「一本足打法」という常識を打ち破ったスタイルで「水準訂正」をしたのです
この水準に打者のレベルが追い付くのに”時間”がかかったともいえるのです

 

では、


「人の真似をしていては勝てない」ということでしょうか

 


ボクを含めて、努力というものをしてはいるものの

成長に伸び悩んでいる人が、もしかしたら、いらっしゃるかもしれません
一生懸命やっているのに成果が出ないのはなぜでしょう?
もしかしたら、同じことを繰り返して、
「できるように練習することに時間を割く」ことを努力のすべてだと考えているからでしょうか?


いつまでたっても習得できないなら、それはどこかに間違いがあるかもしれません
そこに気がつくこと、そしてそれを修正することに意味があるかもしれない・・・

修正することは、「今までのやり方を捨てること」になります
しかし、葛西選手も王貞治選手も伸びない結果を改善するための
「気づき」が、努力の結果見つかったのではないでしょうか


ならば、ボクたちは、努力をして結果が出ないなら、「才能がない」とあきらめるのではなく
”アプローチを変えてみること”が必要とするということでなるんでしょうか


そして、”記録は破られるためにある”

とすれば、数字という目標はその才能がどれだけ発揮できたかのバロメーターであるともいえるのでしょう

オリンピックの話題で絡んでみましたが
単にスポーツ観戦という視点だけではなく
その人の努力や結果をどうみて、どう自分に刺激させるか
自分がもっとも魅力を感じるところであります

 


”自分の記録を破る努力”

 

していきたいです